2010年に起こった3歳にも満たない幼い子ども2人が亡くなった”大阪二児置き去り死事件”から今年で5年。
まだ、5年しかたっていないことや事件の内容から記憶に残っている方も多いのでは?
大阪二児置き去り死事件について
事件が報道されていた当時、私は「なんてひどいんだ」と思いました。
亡くなった子どもたちの微笑んでいる写真も報道されていたし。
ニュースでみかけた方も多いのではないでしょうか?
2010年7月30日未明、大阪南の繁華街のそばの、十五平米ほどのワンルームマンションで、三歳の女の子と一歳八ヶ月の男の子が変わり果てた姿で見つかった。齋藤芽衣(仮名)さんは、その二人の子どもの母親だ。この夏はとびきり暑かった。子ども達はクーラーのついいていない部屋の中堆積の、したゴミの真ん中で、服を脱ぎ、折り重なるように亡くなっていた。内蔵の一部は蒸発し、身体は腐敗し、一部は白骨化していた。
(ルポ 虐待–大阪二児置き去り死事件 P.9 引用)
事件の背景にあるもの
背景その① 親子にたどり着けなかった子育て支援
この事件は、地域の児童相談所が何度か接触や援助に動いています。
では、なぜ未然に防ぐことができなかった?
大阪市内の弁護士で、児童虐待や少年非行問題等に詳しい峯本耕治さんはこう語った。「この事件の特異さは、情報が全くなかった点です。今までの重大なケースは、どこかの機関に何かしらの情報が入って、少なくとも、そこに誰がいるのかがわかっていた。その上でアセスメント(査定)を間違えた、判断はできていたが、タイミングが遅れた、ということで子どもが亡くなった。しかし、今回は母子がどのような状況にあるか、全くわからなかった。それではアセスメントのしようがありません。」
(ルポ 虐待–大阪二児置き去り死事件 P.16 引用)
1年程で転居を何回も繰り返す親子。
事件の現場となったマンションでは住所登録もされていない状態。
転居を繰り返す中で、地域の児相や保健センターが接触を試みていました。
今回の事実から、浮き彫りになったことは…
県や市をまたいでしまうことで児相や保健センターが継続して接触ができない。
転居届が出されている場合などは、新しい転居先に引き継ぎはされるようですが。
背景その② 容疑者となった母親の生い立ち
容疑者となった母親の生い立ちをみていくと、恵まれているとは言い難い環境のようです。
- 幼少期に実母からのネグレクト
- 両親の離婚
- 継母からの兄弟間差別
- 思春期の養育環境
- 父親の女性関係
- 実母の依存体質
恵まれていない生育歴だったとしても、今回の事件が許されないこと。
しかし、容疑者となった母親もまた親の犠牲になった子どもだったのでしょうね。
背景その③ 母親をやめれない
容疑者の実父や実母、犠牲となった子どもの父親も容疑者や子ども達をどこか他人事のように扱っている印象。
周囲に仕事や育児の問題でSOSを出す事は、簡単なことではないけどね。
特に「子どもが育てられない」なんて「自分はダメな母親です。」と自分で烙印を押すようなものだし。
自分への評価が元々低い人であれば…周囲からの目が気になるよね。
(自分もそうだし。外では”優しい母親”を演じてしまう…。)
自分からSOSをだすことは自己評価のある人よりさらに困難かな。
でも、考えずにはいられない。
困難だったとしても、容疑者が母親であることに固執せず周囲に助けを求めていたら?
事件は起こらなかったのかもしれませんよね。
まとめ
残念なことにニュースは続々と報道されますね。
「なぜその事件が起こったのか?」などの背景は、その時の報道ではなかなかたどり着けない。
報道だけが先走っている感じはしちゃうんだなー。
私は、時間をかけたとしても事件の背景を知ることが必要だとおもうんですよ。
似たようなケースが起こればその情報が活かされるから。
(もちろんないにこしたことはないですよ!)
この本には事件の背景も書いてあるし、時系列で追っていくので読みやすい。
興味のある方は手にとってみてくださいね。
もし、貴方が親をやめることで子どもが幸せになるとしたら…親をやめることができますか?
2016.11.19
知多市で行われたちたオレンジリボンフォーラムで杉山春さんの講演を聞いてきました。
杉山春さんの講演するちたオレンジリボンフォーラムへ行ってきました
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