共働きで消耗した家族が生き方を見直してます。

もう、共働きやめます。

オススメ本 児童虐待

被虐待児は「傷口から人生。メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった」を読むべし

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名作でした。 

まずは、ほんの内容をざっくりと見てみましょう。

過剰に教育的な母に抑圧され、中3で自傷&不登校。大学に馴染めず仮面浪人。でも他人から見てイケてる自分でいたくて、留学、TOEIC950点、インターン等々。無敵の履歴をひっさげ大企業の面接に臨んだ。なのにパニック障害に!就活を断念し、なぜかスペイン巡礼の旅へ。つまずきまくり女子は、再生できるのか?衝撃と希望の人生格闘記。 

とまぁ、なかなかエグい内容になっているんですよ。

過剰な教育もやり方によっては、虐待になります。妻の虐待の内容を聞いていると似たようなところはあるんですよね。妙に完璧主義なところがあって、本人も周りも困ってます。

なので、ここから先は、ある程度心の整理がついている人だけ読んでください。

傷口から人生。メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった

 

 

書いている内容から、ネグレクト(心理的虐待)があったと思います。同様の虐待を受けていた人が読むには辛い描写があります。ただ、文章の中では虐待という言葉は出てきません。(虐待と表現しなかった理由は本を読み終わったらわかります)

認めてもらえない。親に承認されてない。例えば、テストは100点以外は0点と等しいなど。

結果として中学生にしてこじらせていますね。ここからは衝撃的な内容。

私はやがて、溢れる血をバケツに溜め始めた。バケツの中に、ちょろちょろと、注射針のお尻から、腕を伝って流れた血がたまってゆく。血液は一定以上の量になると凝固して、ぶよぶよのゼリー状になる。それはもう、個人の肉体の一部だった。肉体を使って、肉体を通じて、私は怒りを表明したかった。言葉をもたなかったからだ。私はまだ中学3年生で、言葉はまだ、異国の武器だった。

私はそれを、母の食卓の上に毎日、置きはじめた。

中学生のときの小野さん!過激すぎるでしょwww

奥さんの虐待話も過激だなーと思いつつ聞いていますが、それを超えてますねw

自傷に関して

いかにして自傷をやめたのかってことで、生々しく語っていますね。ちょっと、引くくらいに。言葉に出せないから、表現の仕方がわからないから、体を使って表現しています。

自傷について小野さんは以下のように語っています。

自傷をしている人は、実は、すごく鈍い。

よく、自傷は、感受性の豊かな、繊細で敏感な人がするものだ、と思われている。それは一理あるけど、私はそれは違うと思う。だって、自傷は自殺を違って、生きるためにやっている行為なのは。だから、行う本人の耐久性はハンパじゃない。感度が高かったら、それこそ「イテテテ」ってなっちゃうでしょ。

痛さをずっと味わうために、自分の感度を、わざと下げる。そうすればずっと自分で自分を傷つけられる。自傷は刺激の自給自足だ。

そうなの?と聞いてみると、そうそうと答えてくれますね。虐待されている子って痛みに鈍感なんですよね。奥さんの場合だけか?どうも、そういうモードがあるみたいです。

抑圧されて怒りの表現方法を失って、自傷という形で表現をしているんですよね。中には存在を消したいと思ってやっている人もいますが。

参考:【消えたい】虐待からは救われない。

自傷=ネガティブなイメージ。うわっ、やるなよ!って言ってましたが、必死の表現なんですよね。ちょっと見方がかわります。

全てを決めたがる母親との修羅場

もう一つのエピソードも過激。

思春期以降、全てを決めたがる母と、私の関係はこじれにこじれた。母は自分の偏見で作り上げたものすごく強固な世界をもっており、私はしばしばそれに翻弄された。志望大学に合格した時、「あんな在日の教授がいる大学、いかせられないわよ」と言われたt気には、あまりのことに閉口した。(中略)包丁を突きつけて、泣きながら懇願した。それでも母は頑として首を縦に振らなかった。3日間の修羅場ののち、疲れ果てて、私が折れた。

うぇー。大学の決定には包丁がいるみたいです…。

最終的には、自分を見つめなければならない。家族と向き合わないとならない。母親とぶつからなければならない。コミュニケーションを取りたい。ここで彼女との関係を解決しなければ、一生解決できない。

覚悟を持って母親と向き合った小野さんの行動は「馬乗りになって母親を殴る」でした。

私は殴った。母を殴った。初めて、母と私の皮膚が触れた。拳の先と、母の頰。人生で初めて、母に触れた気がした。母の身体に触れることが、怖くてこれまで、できなかった。抱きつくことも、甘えることもできなかった。幼稚園以来に触れた母の皮膚はやわらかくて頼りなげだった。老婆の皮膚だった。瞬間、うろたえた。母はいつのまにか老いていたのだ。私よりもずっと弱い老婆に。これまで抱いていた、恐ろしくて憎い母のイメージが、現実の熱さに触れてどろどろと溶けてゆく。同時に時間と距離とが、混線して、バーチャルな世界を見せる。
なんで逃げるの。

母は泣いていた。私も泣いていた。拳が触れるごとに、母の生きて来た時間と、自分の生きて来た時間が交差する。二人分の厚い時間の層の中で、目の前の母はどんどん、小さくなってゆく。母は、彼女の時間の中で、小さな少女だった。目の前の老人の肉体の中に、震える少女がいた。誰とも関われずに、世界を拒絶し続ける少女。イメージの中で、怖くて強大な存在だった母は、老婆で、そして、少女だった。

子供の頃はとてつもなく大きな存在のようでも、同じように成長しています。自分が大きくなる一方で、相手も死へ向かって成長しています。心の中では強大な存在でも、実際に触れてみると親もまた屈折して生きている人なんですよね。

どういった形であれ、虐待をされてきた方は、こんな解決方法はいかがでしょうか?拳で語り合えばいいのですよ!

まとめ

引き込まれるような体験や文章で、嫉妬します。

句読点の使い方、堅苦しくならないようにひらいた文体。ひらがなの使い方がうまいんですよ。全体的に、五感は体感覚強いようなので、同じ属性なら、文章でフラッシュバックするかもしれません。(身体感覚の言葉が多いってことです。ふわふわ、ドキドキなど。)

立ち直っている途中でしたら、読むといいですよ。自分と向きある勇気がうまれるかもしれません。

文章を書いているブロガーは読んだ方がいいですよ。文章の上手さに嫉妬しますから…。

スペイン巡礼の本も出てました!

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ハタオト

ハタオト

職業:専業主夫。サイト作って、静かに生活しています。このブログは好き勝手書いています。

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