片付けない妻です。
虐待の報道を見て『あの時は大変だっだよねー。』と話す母親。
その台詞を聞いて私たち兄弟は唖然。知らぬが仏とはまさにこのこと。
心の中で『お前が言うなよ!』と突っ込んでしまいました。
一生理解することもなければ、自分も被害者と考えていることでしょう。
私たちはあなた(母親)に虐待されて育ちました。
児童虐待防止法に助けられた私
児童虐待防止法が施行された2000年11月。
まさに私はこの時、虐待の渦中に身を置いていました。
その後、私が一時保護されるまでにそう時間はかかりませんでした。当時を知る人の話によると民生委員、児相、学校、親戚が連携してくれたそうです。
まさにこの法律の施行に助けられたといっても過言ではないんですよねー。
「児童虐待の防止等に関する法律」が成立したのは2000年5月、施行は同年11月でした。この防止法の特徴は、超党派による議員立法であるという点で、議員の熱意や民間の声を吸い上げる形での立法でした。
この立法により、第二条に「児童虐待の定義」が初めて定められ、身体的虐待、性的虐待、ネグレクト、心理的虐待の四種類とされました。また、父母や児童養護施設の施設長など『保護者』による虐待を定義することで、施設内暴力の抑止力ともしました。
2004年に改正
児童虐待防止法は、現在までに何回か改正されています。
虐待の定義が見直されたのは2004年。
定義のところだけご紹介。
そうここで”保護者以外の同居人による虐待と虐待の放置”がネグレクトに追加。”DVを見せる”などの行為も虐待ですよ!と心理的虐待に追加されたわけです。
味方だと思ったら敵だった!
以前、こんなブログを書きました。
虐待の通報。児童養護施設に保護された場所は、学校の校長室だった話 | 片付けない妻と働かない夫ブログ
私が虐待から解放されたのは、虐待の定義が変わる前なんです。
もし、児童虐待防止法が施行された当時から今の定義だったら…わたしの母親は立派な加害者。苦笑
虐待について勉強するようになって、虐待黙認がネグレクトだと知った時の心の修羅場。今でも忘れられません。
そう、1番の味方だと思ったら敵だった!!驚きですよね。
虐待がある家の子どもは全員被虐待児でしょ?
私の兄弟は全員被虐待児。
- 殴られる
- 罵倒される
- 一晩中正座もしくは立たされる
などなどの直接虐待の被害を受けた兄弟。
虐待される兄弟を見て育つ他の兄弟。
DVを見せることは虐待だとされていますが、私からしたら虐待を見せることも虐待の一つ。
その中でも私と兄弟Aは”母親も加害者”として認定。(衝撃過ぎたので他の兄弟は知らない方が幸せなのかなー。)そんな2人の会話は…『もし、兄弟の誰かが死んでいたら母親は犯罪者だったね。』なのですが。苦笑
当時は毎日『このまま死ねないかな』って思ってたし、打ち所が悪ければ死んでもおかしくなかった。
虐待から解放されてなければ、今ここでブログを書いている私もいなかったかもしれんしね。
“見て見ぬ振り”はネグレクト!
もし、「どうしよう」と思っているのなら、誰かにそれを打ち明けて欲しい。子どもをそこから解放して欲しいんですよね。
自分がその状態にいたいならいればいい。
子どもはその時は泣き叫んで離れたくないと言うかもしれない。でも、しばらく違うところで生活すると異常性に気づきます。私の兄弟Aのように『施設からでたくなかったのに』と思うようになると思うんですよね。
今、解放してあげたら将来恨まれる可能性は少し減るかもよ。(私のように。苦笑)
まとめ
ちょっと人と変わった生育歴を頂いた私たち兄弟。
『前世でどんなけ悪いことをした奴らの集まりなの?笑』と話すことも。
この生育歴があるからこその今。
差し伸べてもらった手を今度は差し伸べたい。と思うんですよねー。
大切なことは3回言わなきゃね!笑
“虐待の見て見ぬ振り”は同罪だよ。
私たちも通告によって救われました。身近で何か『変だな?』と思うことがあれば通告してもらえると幸いです。
【189(いちはやく)】覚えやすくなったダイヤルで救える命はあるのか? | 片付けない妻と働かない夫ブログ
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